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皆さんはどの気持ちを持ってクリスマスを迎えているでしょうか。私は子供の頃、クリスマスはとても楽しい時だと思いました。プレゼントを貰うのは大好きであった私に取っては大変嬉しい季節でした。しかし、大人になって、クリスマスの意味が変わりました。大人になるとプレゼントを貰うよりもプレゼントを与えるときになりました。その上、その時は両親から離れて住んでいたので、クリスマスは実家に帰らなければならない時だと思いました。つまり、楽しいよりもちょっと義務を感じる季節でした。しかし、宣教師になってから、クリスマスはやはりまだ違う意味を持つようになりました。宣教師にとっては、クリスマスが仕事が増える時期です!
最近ある雑誌の記事を読みました。その記事のなかに、記者がクリスマスのことをこう説明しました。「日本でのクリスマスは非常に商業的なイメージを持ていて、特に恋人のクリスマスの感じです。欧米ではずいぶんちがう。」そうですね。家族と一緒に過ごすクリスマスです。だから今年、家族から遠く離れて、日本の恋人のクリスマスの中に、本当にクリスマスは私に取ってどういう意味を持っていると改めて考える機会が与えられました。そのため、もう一回クリスマスの背景、最初のクリスマスの状況、情勢を調べることになりました。
先日米原で高校生英語クラブをやっていました。そのクラブのテーマはクリスマスでした。そして私は「なぜクリスマスを祝うのか」と聞きました。すると一人、英語が上手な女性はこう答えました。「クリスマスはイエス様が生まれたときでした。」しかし私はちょっと生意気で、もう一度聞きました。「日本人はほとんどイエス様のことを信じないので、なぜ日本でクリスマスを祝うのか。」ちょっとばつが悪い沈黙(ちんもく)があったが、同じ女性はやっと答えました。「日本人はあまり宗教のことを気にしないが、お祭りが好き。」まあ、そうですね、日本人だけではないと思いますが、彼女が言いました通り、クリスマスは基本的にイエス様が生まれた記念祭りです。
私はずっとイエス様のことを信じていたわけではありません。私の両親は無神論者で、高校の時まではあまり宗教のことに興味がありませんでした。しかし高校では、二人の友達はクリスチャンでした。彼らの誘いで、イエス様のことを調べました。彼はどんな人でしたか。彼は何を教えましたか。何のために行きましたか。そして段々イエス様は本当に死んで蘇た神様の子だと信じるようになって、結局その良い知らせを愛する日本人に伝えるようにここに来ました。
でも、もしイエス様はこの世界に来てくださった神様ご自身であったら、どのように、どの状態で来ましたのか?先の聖書個所を読むと、本当に時代劇のような状態でした。その時代劇で出って来る主人公を紹介したいと思います。
まず「皇帝アウグスト」が登場します。かれは誰かというと、大変厳しい権力主義者でした。本当に有名な「ジューリアス・シーザー」の息子でした。ローマ元老院は彼のお父さんのジューリアスを神にしたので、アウグストは自分が「神様の子供」だと自分を売り込みました。これはローマ帝国を拡大して植民地を安定した最初のローマ皇帝でした。ローマ帝国は植民地を圧迫する方法の一つはローマ人の贅沢な生活を支えるために酷い税金率をかけることでした。だからローマ帝国で占領された植民地の平均収入税はなんと80%でした。
次の登場人物は「キリネオ」でした。かれはローマの地方支配者でした。本当に野心的な政治家でしたので、ローマ人に印象を付けるために、たくさん税金を取りたかったのです。だから、彼が支配する植民地で、男性だけではなく、女性からも収入税を取りました。マリアとヨセフはベツレヘムまで行った理由は税金登録のためでした。
そして「ヘロデ王様」が出って来ます。ヘロデは本当に力で気のくるった人でした。かれにいんぼうがあると思って義理の母を殺して、義理の兄を殺して、息子を殺しました。そしてローマ人がユダヤ人より力強いと分かってから、彼はローマ派に付けてイスラエルの傀儡王様になりました。自分が「ユダヤ人の王様」だと宣言しました。しかし、ユダヤ人はやっぱりローマ帝国の占領が欲しくなかったので、クリスマスの税金登録調査の時では反ヘロデの騒動、反ローマ騒動が多くありました。ユダヤ教では、イスラエルという国が神様に選ばれた土地でしたので、イスラエルが異邦人に占領されて圧迫されたと言うのはユダヤ人に本当に本当に恥ずかしいことでした。
この不安定の政治的背景では二人の恋人、マリアとヨセフが登場しています。まるで時代劇ですね。ヨセフは大工さんでした。そして税金登録のために故郷のベツレヘムまで約150キロの旅をしました。多分そこへ行って登録してエルサレムまで帰るは2週間かかりました。その上、マリアがもうすぐ子供を生むので、家族が一番お金が必要な時に2週間稼ぎませんでした。まあ、「家族」と言いますが、まだ結婚しませんでした。マリアとヨセフは婚約しただけでした。つまりヨセフは大変でかくて妊娠した彼女を連れて自分の実家まで行きました。
私は先月ヘンリエッタ先生と婚約しました。1月帰国して2月は結婚する予定です。なお、もしかして帰る前にヘンリエッタが妊娠したということが分かっていたら、どうなるのでしょうか?(マーティン先生、気にしないで、例え話ですよ。)多分、教会の牧師や宣教師団体のリーダーたちは私にいろんな質問するのでしょうか。そして「私のせいじゃなくて、神様のせいだ」といっても、私を信じるのでしょうか?友達、家族はどう思うのでしょうか?
しかし、ヨセフとマリアは21世紀のイギリスではなくて1世紀の大変保守的なユダヤ教のイスラエルにいました。私生児を生むことはものすごく恥ずかしいことでした。自分だけではなくて、子供だけではなくて、家族や親戚に大変恥じをかけることでした。だからヨセフは自分の町に来ても、誰も彼に助けてくれません。友達、親戚、家族がいる町なのに、誰も泊まってくれません。マリアはきつい、寒い、汚い馬小屋で子供を産まなければなりませんでした。ヨセフはどの気持ちを持ってクリスマスを迎えたのでしょうか?確かに恥ですね。
イエス様は圧迫されて、占領されて、恥を感じている国で、貧しい、恥をかぶせた家族に、私生児として生まれました。これはクリスチャンが神として礼拝するイエス様です。そんなに立派な神様ではないでしょうか。しかし神様はわざとこの道を選びました。この世界の一番心地よい、贅沢な生活より、一番大変、恥じ深い人生をして、私たちの苦しみと恥と罪をともに受けました。アウグストやキリネオやヘロデのような公な力を持つより、神様の全能の力をかくして普通の人間の生活を行いました。
なぜかと分かるため、もう一つの時代劇を考えてください。水戸黄門という時代劇はご存知ですか?多分日本に一番有名な時代劇ですが、もう一回考えてみてください。水戸黄門が分かったら、ぜったいキリスト教がわかりますよ。とても力強い将軍が自分の力をかくして、一般日本人とともに生活していました。そうすると、皆が受ける不公平、苦しみ、圧迫を味わうようになりました。そして多くの弟子たちを一緒にあちこち行って、いろいろな悪い状況を立ち向かいました。そして毎週の番組の終わりで、弟子たちはいつも数多くの悪者に囲まれて武器が足りない状態にいるが、一人が水戸黄門の印籠を出して示します。すると悪者はひれ伏して「すみません」と言ったりするのですね。なぜかというと本当にいままで隠された偉大なる権力がいると理解するからです。
クリスト教は全く一緒です。神様は彼の偉大なる力を隠して普通の人間の生活をしました。そうしながら、人間の罪と恥と不公平を受けました。そういうことを受けてそれを変形しました。もし神様ご自身は私生児として生まれたら、これからの私生児は恥を感じる必要がありません。神様ご自身はその一人でしたのだから。神様がその恥を私たちから取ってから、私たちには恥を感じる必要はありません。私たちの罪を取ってから、私たちの災いを取ってから、私たちの弱さを取ってから、今の私たちにはそういうことを感じる必要はありません。そして結局イエス様が死から蘇て、自分の隠れた力を公に示して、霊的な悪者はひれ伏しました。 しかしクリスマスは神様が私たちの所に来たから始まります。私たちとともに生きて、私たちの人生の悩みを受けて、本当の力の意味を示したことです。水戸黄門とおなじように、私たちクリスチャンは彼と一緒に行っていろいろな冒険(ぼうけん)をして、新しい生き方を味わっています。私たちはこの時代劇に参加できることはどんなクリスマス・プレゼントよりも楽しいことではないでしょうか。





