和解の使節

おはようごさいます。私はカズンズ・サイモンともうします。皆さんがご存知であるかも知りませんが、京都で開拓伝道をする世界福音伝導会の宣教師です。宣教師と言いますが、「宣教師」という言葉は実はきらいです。まずは日本語の言葉を分析すると、「宗教を述べ伝える教師」という意味ですね。それは何よりも詰まらない言葉です。そして聖書はそういう言い方を使いません。聖書では「宣教師」という言葉が書かれていません。聖書が私のことを表現すると、またはあなたがたのことを表現すると、第2コリントへの手紙で「和解の使節」という言葉を使っています。

だからこの会議のテーマが「和解」だと聞いたら本当に喜びました。なぜかというと和解は本当に聖書的なことですので。得に新約聖書では本当に重要なことです。パウロの手紙の一つ残らずが和解ということについて書かれています。今日のエペソ人への手紙を読むと、三つの意味の和解をみることができると思います。

まずは14節では、神様が成し遂げてくださった和解に付いてパウロはこう書いています。「キリストこそ私たちの平和であり、 二つのものを一つにし。」この「二つ」はどういう意味でしょうか。11節では「あなたがた異邦人」と書いています。それは私達のことですよ!十二節では、異邦人は「イスラエルの国から除外(しょがい)された」。イスラエルがあり、イスラエルではない異邦人があります。そして14節では、キリストは「へだての壁を打ちこわし」ました。どういう意味ですか?

やっぱり「二つ」というのはイスラエル人と異邦人。エルサレムの神殿ではいくつかの内庭がありました。人が参りに来たいくつかの所でした。南方向から神殿の山を登ると、まずは異邦人の内庭まで来ます。それは異邦人が集まることができ、異邦人がそこで祈れる場所でした。そして神殿の間中にソレグという壁がありました。「ソレグ」は「かんぬき」という意味です。まるで、ろうごくのようなイメージですね。壁の向こう側は女たちの内庭、そしてイスラエル人の内庭でした。しかし外国人はソレグの壁を通られませんでした。そしてラテン語とギリシャ語で壁に次のような警告が書かれていました。「外国人がこの壁の向こう側に神殿を入ってはいけません。だれでも入ったら、殺されます。殺されたら、自分の責任です。」厳しいよね。このソレグはパウロが言いました「へだての壁」でした。この壁はユダヤ人と異邦人を区別された壁でした。壁の存在では「私達ユダヤ人が神様に近づけます。お前たちが近づけません。私達は神様に選ばれた民族です。お前たちは選ばれていません。そして、それを尊敬しないと、殺します。」

当時のユダヤ人は本当に選ばれたという特権で自慢(じまん)しました。神様に選ばれたので特別な人だと自慢しました。自分が特別、選ばれた、清い人でしたので、全てのきたない、よごれた、けがれたことから守りたかったのでした。そして何がきたない、よごれた、けがれたことだと思ったのでしょうか?確かに外人でした。たとえば、ヨハネの福音書4章では、イエス様は外人の女に「お水ください」と言いました。女がびっくりして、「あなたはユダヤ人なのに、 どうしてサマリヤの女の私に、 飲み水をお求めになるのですか。 」そしてヨハネが説明してくれます:ユダヤ人はサマリヤ人が使ったものを使いません。もし外人がカップを使って、ユダヤ人は使いません。汚れたからです。感染(かんせん)されたからです。外人のばい菌で感染されたからです。

これは何かというとただの人類差別です。これは人類差別の様子です。ユダヤ人と異邦人の間の緊張関係、ユダヤ人と異邦人の間の優越感(ゆうえつかん)、ユダヤ人と異邦人の間の嫌悪(けんお)がただの人類差別です。そしてイエス様は「もうだめ」と言います。人類差別はだめ。やめなさい。イエス様はふたつのグループの間の壁をこわしました。壁をこわしただけではなくて、二つのグループを一つにしました。実は皆が神様の民です。ここにいる人々はあそこの人々にゆうえつかんを持つことができません。両方共いっしょですので。キリストの信仰を持って同じ天のお父さんが入るから同じ家族です。ユダヤ人にも異邦人にも、もうかまいません。日本人にも、韓国人にも、中国人にもイギリス人にもかまいません。上流でも下流でもかまいません。都会の人にも、部落の人にも一緒です。もう分裂されていません、もう区別されていません。神様の家族では人類差別、区別、優越感は存在出来ません。皆平等(びょうどう)からです。イエス様は区別の壁をこわしました。

私達宣教団体の教会では一人の日本人をインドまで宣教師として派遣しました。ちえみさんという人です。派遣する前に、牧師会に来て、牧師の皆に証をしました。証の中で、「神様が私をインドのダリト、インドのアウトカーストまで派遣したのは、私自身が日本でアウトカーストだからかも知りません。私は部落の人です。だれにも言ったことがありません。恥ずかしかったので。しかし、神様はこの部落の私を使えようと思ってくださったので、もう恥ずかしくない。」と言いました。それはイエス様の和解の意味ですね。

今日は終戦記念日ですね。今でも、お年寄りのイギリス人は戦争中の日本のことを覚えて、日本人を嫌われることがあります。だんだんすくなくなっていますが、「赦されない」という人もいます。私の知り合いの人ですが、恵子ホームズという人がいます。彼女は三重県出身です。三重県のきわちょうという所では、捕虜収容所(ほりょしゅうようじょ)がありました。たくさんのイギリス人はそこ捕虜されました。しかし今では、きわちょうが住んでいる日本人は捕虜記念庭を造りました。捕虜の人の名前を張っていて、花できれいにしました。ホームズさんがこれを見て本当に驚きました。敵であるイギリス人のことなのに、日本人が世話してくださいました。だから、ホームズさんがクリスチャンで、アガペというチャリティーを設立しました。アガペの働きは三重県で捕虜した人を初めて、イギリス人の捕虜を見つけて、この素晴らしい記念庭を見に来てくださいといいました。「赦せない、赦せない」という人もいましたが、日本に来てどんなに上手に日本人が記念庭を世話してくださったことを見て、やっと赦すことができた人はたくさんにます。ホームズさんはこの勤めでイギリス女王から賞を貰いました。本当に和解の勤めですね。ホームズさんは和解の使節ですね。

しかし、自分の国を偶像とする傾向はどこでもあると思います。自分の国は他の国よりも神様に祝福されたと信じる傾向はありますね。自分の国が特別、自分の国がゆうえつと信じる誘惑はどこでもあると思います。しかしイエス様は、「だめ」と言いました。イエス様は二つを一つにしました。イエス様はへだての壁をこわしました。彼に酔って私達は皆神様の子供です。平等です。私達はそれを知っています。

しかしこれを知ったら全て解決されたという訳ではありません。先ほど言いましたように、パウロの手紙の一つ残らずが和解ということについてです。なぜでしょうか。初代教会はもともとユダヤ人だけのものでした。使徒業伝11、12、13章では、神様は異邦人にも門を開かれました。ありがたいですね。そうしたなかったら私達はここに集めません。しかしその時から、ユダヤ人と異邦人、普通互いに憎んでいる人々は同じ教会にいます。二つが一つになったという事実を取り組まなければなりませんでした。だから、パウロはローマ人へ「神はユダヤ人だけの神でしょうか。 異邦人にとっても神ではないのでしょうか。 確かに神は、 異邦人にとっても、 神です」と書いています。同じ神様に選ばれたので、一緒にいなさい。コリント人へ「ユダヤ人であってもギリシヤ人であっても、 召された者」と書いています。そしてガラタヤへの手紙では、パウロはペテロと一対一します。

ペテロはコルネリオの家で泊まっていた時、神様が二つを一つにしたことを分かりました。しかし、ガラタヤ人への手紙では、ペテロがユダヤ人だけと食事をしたことを見たパウロは抗議(こうぎ)しました。いつわりだと言いました。「彼らが福音の真理についてまっすぐに歩んでいない」と言いました。厳しい言葉ですね。ユダヤ人同士で食べてから福音の真理を外れたと言いました。パウロに取ってそれほど大事なことでした。なぜかというと、パウロはクリスチャンが基本的に和解の使節だと信じたからです。「神は、 キリストにあって、 この世をご自分と和解させ、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。こういうわけで、私たちはキリストの使節なのです。」それはパウロに取って福音の真理です。もし私達は差別を見て、差別を経験し、和解の使節である私達は反対側を通り過ぎず、キリストによって二つは一つとなったと宣言します。へだての壁がこわされたと宣言します。和解の使節として、神様の王国ではギリシヤ人とユダヤ人、 割礼の有無、 奴隷と自由人というような区別はないと宣言します。

=head1 Reconciliation between the old and the new

この手紙ではもう一つの区別の様子があると思います。ユダヤ人と異邦人とともに、古い物と新しいものとの区別があると思います。ユダヤ人は本格的に神に選ばれたの民だと知っていました。いつも、最初から神様の民でした。そして今、このいやの外人が来て、私達も神様に選ばれたといいています。えらいな。しかし私達ユダヤ人は最初でした。本物です。お前たち誰でしょうか。

片方で、異邦人は神様がユダヤ人を捨てたと信じて、私達異邦人は新しい選ばれた人だと信じました。まあ、今でも、それを信じる人はたくさんいるでしょうか。あいつは古いやつ。一回やって、間違った、私達の番です。パウロは嫌そうでは内と言います。「 神はご自分の民をしりぞけてしまわれたのですか。 絶対にそんなことはありません。」古い物を捨てて最初からやり直した訳ではありません。パウロはオリーブの木のたとえをたています。新しい枝がつぎ合わしました。もしお医者さんに話したら、輸血(ゆけつ)のたとえをたてるでしょうか。同じ体に新しい血がきました。しかし輸血をする時、古い血を全部はずす訳ないですね。古い血と新しい血は互いに働かないと駄目です。互いに働かず、戦っているなら、体全体はこわされます。

いつでも古いと新しい、年寄りの世代と若者の世代に緊張があります。あなたがたの職場でも、あなたがたの大学でも、あなたがたの教会でもそういう緊張があると思います。特に上下関係が厳しい日本では、年と経験で尊敬されているわりと保守的な年を取った世代があり、新しい方向を見つけようとする若者の世代があるので、そういう緊張が強いと思います。私達自身は若者の宣教師ですね。日本で三十代の人は若者ですのでここで住むのはいいですね。しかし私はよく人々が長く働いた所で向こう見ずに入って、全てを変わりたくなる傾向が強いです。「あれしないで、こうしなさい!」そして経験者の宣教師、牧師は多分「何しているあいつの若手」と考えているでしょうか。しかしこう言うような考え方は体全体をこわします。イエス様は「新しい物と古い物の区別はだめ」といいます。二つは一つになったからです。だから、忍耐(にんたい)が必要です。我々若者は年寄りの知恵と経験を評価しなければなりません。年寄りは若者の活力と新しい考えを評価しなければなりません。

どうやってできるのでしょうか。私達の宣教団体では、ある原則があります。同僚でやどっている聖霊様を信頼する原則です。日本で一番長く働いた宣教師にも一番新しく来た宣教師にも同じ神様が下さった知恵を聞こうとしています。同じ神様が私達にも宿っているからです。宣教師が特別という訳ではなくて、一番若者にも一番年を取って人にも、全てのクリスチャンの中に神様が宿っています。それからキリストの体として生きます。人類の差別がないように、年の差別がないように、皆同じ父の子として平等で生きます。

なぜかというと、この個所ではもう一つの和解の様子があります。それは神様と人間の和解です。第2コリントではパウロは「 神は、 キリストにあって、 この世をご自分と和解させた」と書いていました。それから、「あなたがたに願います。 神の和解を受け入れなさい。」キリストは神様と人間の隔ての壁をこわしました。ユダヤ人も異邦人も、若者も年を取った者も、皆が象徴的に神殿の真ん中まで、いと清い所まで進んでもいいです。壁がこわしました。 ほろぼしました。なくなりました。だれでも、神様の所まで行く権利を持っています。欲しいならば。欲しいならば。

あなたにも私にも和解の使節という役割が与えられました。周りの世界はどれほど素晴らしい権利を持っているかと全く分かりません。キリストによって、あなたの友達、あなたの周りの人、あなたの家族、あなたの同僚はもうすでに神様の所まで行く権利を持っています。何と素晴らしいこと。何と言う特権ですね。何と言う機会ですね。和解の使節である私達は神様の権威を持て、神様の力を持て、神様の召しを持ています。全ての人が神様の所まで行く権利を持っていることを宣言する役割も持ています。何と言う責任ですね。神様が一緒にいてくださるのはありがたいですね。聖霊様が私達にやどるのはありがたいですね。聖霊様は力を下さって、和解のメッセジを助けているのはありがたいですね。そうなら、できますよ。あなたはできますよ。神様はあなたにこの役割を下さったのは、あなたができると信じてくださっているからです。私達は皆この和解の知らせを伝えることができます。愛の不足で悩んでいる人と出会ったら、神様が聞いているよと伝えることができます。寂しくて誰に頼ればいいと分からない人と出会ったら、神様があなたのことを気にしているよと伝えることができます。神様が区別、差別、隔ての壁をこわしたことと伝えることができます。

最後に、一つを言いたいと思います。和解の使節である私達は、どこ行っても、どうやって和解の勤めをしても、神様とともに勤めています。私達は神様がこの世でなさっていることの一部となっています。私達は神様のミッションの一部となっています。神様の国を地上に実現することの一部となっています。どうやって実現出来るのでしょうか。色々な方法があります。

あなたは仕事を通して、または個人生活を通して、相手に和解の言葉を話す時、あなたは神様とともに神の国を実現します。あなたは差別を立ち向かって、民族の和解を勤める時、あなたは神様とともに神の国を実現します。あなたは知らない人、外国の人を受け入れて愛する時、あなたは神様とともに神の国を実現します。あなたは若者と年を取った人の間に仲介し、互いの分かりを強める時、あなたは神様とともに神の国を実現します。あなたは忍耐と恵みを年寄りの同僚を示す時、あなたは若者同僚の活力を評価する時、あなたは神様とともに神の国を実現します。あなたは人々を神様と紹介し、全く自由に神様がいる所まで入る権利があると宣言する時、あなたは神様とともに神の国を実現します。 あなたはキリストが成し遂げた和解の使節です。あなたはその和解を地上で実現しています。神様が下さった力を持って、神様が下さった権威を持って、ここから出っていて、和解の勤めをしましょう。アーメン。

Passage: 
2 Co 5